高田馬場アトムズ・アイスホッケークラブは、1975年9月に産声を上げ、今年で40年目を迎える。当時、明治大学アイスホッケー部の監督であった西村昌二氏及び同大学OBの堤康祐氏両名が、同大学アイスホッケー部がホームリンクとして使用していた「船橋ヘルスセンタースケートリンク(船橋市)」の閉鎖に伴い、都内リンクを物色していた。その頃、高田馬場にある「シチズンボウリング場」が1階部分を改築してスケートリンクにすること、オープンすることを聞き、ここを同大学アイスホッケー部の練習場にしよう、同時にマイナーなアイスホッケーを盛んにしよう、裾野を広げよう、理解してもらおう、特に子供達にアイスホッケーの楽しさを知ってもらおうという考えの基、シチズンジュニア・アイスホッケークラブを結成した。これが我が、高田馬場アトムズ・アイスホッケークラブの始まりである。
堤康祐氏は、その後総監督として献身的な指導にあたった。クラブ結成から一貫してホッケーの楽しさ・喜び・厳しさ・醍醐味・協調・競争を指導しつづけ、特に、個性豊かで、骨太な選手を育てたいが口癖であった。そして、究極の原点は「スポーツの持つ楽しさの追求」であった。常に明るい笑顔で指導されていた氏の姿が今でも私達の脳裏に焼き付いている。2001年9月残念ながら他界したが、この26年間の堤氏の多大なる功績に対して心から感謝と尊敬の念を表したい。
主体は子供達である、選手達である。そこに父母達は何がサポートできるのか、チームに何が協力できるのか、選手・父母・監督・コーチがいかに一体となり協力・協調できるかを、常に追い求めた人物である。私達は、堤康祐総監督の基本的な考え方を忠実に継承し、更に理想を追いつづけて行きたい。そして、脈々と流れる我がチームの歴史と伝統を守りつづけて行くことが、クラブ設立の精神継承だと思っている。
シチズンジュニア・アイスホッケークラブは、のちの2007年12月に長年慣れ親しんだチーム名「シチズンジュニア・アイスホッケークラブ」から「シチズン高田馬場アトムズ・アイスホッケークラブ」ついで2014年10月には「高田馬場アトムズ・アイスホッケークラブ」とチーム名を変更した。2021年1月に南船橋の三井不動産アイスパーク船橋にホームリンクを移転し、あの鉄腕アトムのキャラクターと共にさらに子供達の夢・希望・勇気が持てるチーム作りを目指すことを約束している。
